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通勤輸送を支える東上鉄道の痕跡を探る②(上福岡駅~川越市駅)

2020年6月28日

通勤輸送を支える東上鉄道の痕跡を探る①(柳瀬川駅~上福岡駅) の続き

前回撮影した動画があまりにもひどかったのでボツにしました。今回は動画もアップしましたのでぜひそちらもご覧ください。

上福岡駅からスタート

前回の続き。上福岡駅の北側に来ました。今日はここからスタートです。

上福岡駅には都営地下鉄(営団の間違いじゃない)の延伸を見据えて設置された引き上げ線があります。今も数本だけ上福岡行の電車があります。

上福岡駅は東上鉄道開業当時からある駅の1つです。開業時は9駅で1ヵ月半後に2駅追加されて11駅となりました。


(※下の駅名は現在のもの)

上福岡駅の構内は側線もあり広くなっています。昔は貨物が電車待ちをしていました。機関車が走っていたという痕跡は今はなく、ただ当時の雰囲気だけがうかがえるだけとなっています。

さて今日は川越市駅まで目指します。ここから新河岸方面に向かいます。数百メートル進んだところに陸橋がありますがここから川越市に入ります。

途中
<折れ曲がった標識>

<地下道>

など面白いものはありますが開業当時の面影が見あたりません。

ちょうど上福岡駅と新河岸駅の中間にある場所にきました。ここは地下道になっているので覗いてみます。

ここは下り線側がレンガの橋台になっていました。当時の道幅そのままなのでとても狭くなっていますが車が高速で通過しないのでちょうどよい緩衝帯になってくれています。レンガは今まで見てきたものと同じです。

新河岸駅

新河岸駅まで来ましたがここまで1箇所しかありませんでした。ここから先は地図を見ると不老川(ふろうがわ)まで踏切が多いようであまり期待はしていませんが進んでいきましょう。

不老川の手前が急に低くなっていて地下道になっていました。車の往来も多い場所です。


レンガが比較的キレイです。車がすれ違えるかどうかという道幅ですが当時からこの幅なのでもともと主要な道路の1つだったのかもしれません。レンガの上部はセメントになってしまっています。車も多いのでガーターの付け替え時に丈夫にしたのかも知れません。

不老川(ふろうがわ)


当時も川があったようです。もともと水量が多いわけでもなく電車から見ると水がないときもあります。開業時は単線でしたが現在は複線の新しい鉄橋になっています。

昭和21年の航空写真を見てみましょう。

(出典:国土地理院1946/03/09(昭21)USA-M68-A-6-1-119)一部拡大

戦前は川幅も狭く木もたくさん生えていたのですが戦後すぐに護岸工事が始まったようです。上流(写真左下)はほとんど見えていませんが草ぼうぼうになっていて川幅も確認できないほどです。①②③④の箇所にレンガの橋台が残っています。①はすでに紹介している場所です。

②③④を見ていきましょう。

川越市岸町

②のポイント


ここはけた下1.8mと低くなっています。乗用車なら通れますが道幅も狭いのでほとんど車は来ません。レンガの橋台は落書きがあるもののきれいに残されていました。

上を見上げれば線路と枕木が見えます。今まではすべてふさがれていましたがここは珍しく空が見えます。走行する電車は爆音で駆け抜けていきます(その様子は動画にあります)。

③のポイントは写真を撮り忘れましたが動画の方にあります。

④のポイント


車の流れが多いところです。けた下は2.8m。レンガの方はかなりくたびれていました。ここは補修されてしまいそうな感じです。角の部分は接触した後がたくさんあります。ぼろぼろになっています。

川越側の橋台は白くなっていてもうヤバそうな雰囲気です。ここも上部のレンガがセメントに置き換わっています。ガーターが丈夫なものになっているのでそのときに工事された感じです。

では最後のポイントへ。その前にJR川越線と東武東上線がクロスする場所で休憩。

西武新宿線、東武東上線、JR川越線が三つ巴

西武新宿線と東武東上線とJR川越線が交わるポイントです。上の写真でちょうど電車がいるあたりがレンガになっています。ときどき通っていましたがセメントだとずっと思っていました。歩道側に高い塀があってよく見えないからです。改めて見るとレンガでした。

ここは遺産として認定されていると聞きました(他のところもかな?)。そのため西武線を複線にできないという話しです。

西武新宿線は川越鉄道として1895年(明治28年)に開通しました。川越鉄道としてはもう少し早い段階で開業していましたが川越駅(現在の本川越駅)まで開通したのが1895年。もう125年も前なんです。1914年(大正13年)に東上鉄道が開通しましたが川越鉄道の線路があるためにオーバークロスする形で建設されました。国鉄川越線(JR川越線)ができたのは1940年(昭和15年)なのでかなり遅かったというのは意外です。

日も暮れてきたので今回の旅は終了です。次回はかつて東上鉄道の終点だった田面沢駅を探しながら坂戸方面に向かいます。