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【タイ】パークナム鉄道

2018年2月5日

タイで最初の鉄道~パークナム鉄道の歴史~

1893年4月11日、タイで最初となる鉄道が開業しました。現在のフアランポーン駅前のラマシー(ラマ4世)通りからサムットプラカーンのパークナム港までの21.3kmを結ぶ鉄道でパークナム鉄道(パークナーム鉄道)やパークナム線と呼ばれていました。これはバンコク-アユタヤ間で開通した官営鉄道(タイ国鉄)よりも4年も前の出来事で民間鉄道会社(パークナム鉄道会社)によるものでした。建設は外国資本によるものでしたがすぐに資金難に陥ります。結局ラマ5世が半分を出資する形で建設されました。軌間は1000mm(メーターゲージ)を採用。開通当時は1日3往復の運行でしたが1912年5月1日には一部区間(フアランポーンとクロントゥーイの間)が電化され電車の運行が始まると15~20分間隔の運行となり都市型交通へと変わっていきました。全線が電化されると1時間に1本の運行となり都市間交通へと逆戻りしてしまいます。全線電化の際にサイアム電気(市内電車)へのサブリースという形で契約したため毎年17万バーツほどの定期収入があり世界恐慌などの影響を受けなったためパークナム鉄道の財務状況は順調でした。ところが50年間の事業免許が過ぎるため延長申請を何度も行ったものの、タイ政府はこれを認めず1936年9月13日にタイ国鉄の所有となりました。その後、モータリゼーションの波に押され赤字となり、さらにラマ4世通りの拡張工事のために1959年末(12月31日?)をもって全線で廃止となりました。※参考文献1:柿崎一郎「バンコクの民営鉄道」

  • 1893年4月11日 全線開業
  • 1908年半ば 内燃動車運行開始
  • 1909年1月 内燃動車脱線事故
  • 1912年5月1日 フアランポーン~クロントゥーイ間電化
  • 1917年 クロントゥーイ~バーンナー間電化
  • 1926年1月 全線電化完了
  • 1936年9月13日 免許失効により国有化
  • 1952年 赤字
  • 1959年12月31日 全線廃止

1931年に撮影された貴重な動画を見つけました。前半がタイで後半は韓国です。動画が始まるとすぐにパークナム港から眺めたパークナム鉄道。その後乗車してバーンジャーク駅の通過シーンや退避する4両編成のトラムとすれ違うシーンなどが撮影されています。ほとんどの駅を通過していることから外国人ツアー客用の特別列車と推測できます。ではどうぞ

タイの民間鉄道の黎明期

市場の中をディーゼルカーが走り抜けることで有名なメークロン線もターチン鉄道(現在のメークロン線の東側)として1905年1月4日に開業しました。その2年後の1907年7月12日にメークロン鉄道(現在のメークロン線の西側)が開業し、同日ターチーン鉄道と経営統合がされ、メークロン鉄道として経営が一元化されました(※Wikipediaでは1908年10月6日にこの2つが吸収合併する形でメークロン鉄道となったと記載されています)。一部区間が電化され1955年まで電車が走っていましたが電気設備の故障が原因で電車の運行ができなくなり気動車で運行が継続されました。パークナム鉄道同様に事業免許の延長をタイ政府が認めなかったため国有化されました。その後周辺住民からの廃止(廃止させて道路に転用する旨)の要望があったものの貨物輸送も順調で工事期間中の代替輸送機関もなかった(平行する道路が当時なかった)ため廃止を免れ、それが現在のメークロン線となっています。

タイ政府は鉄道建設における外国人との裁判沙汰や植民地支配への布石を恐れ、外国人が運営する形での鉄道会社を基本的に認めなかったため、タイにおける鉄道黎明期にはいわゆる私鉄は4つ(個人的に建設した軽便鉄道も含めて4つ)しかありませんでした。メークロン鉄道もターチン線の延長という形(実際にはターチン川で分断されている)で特別に建設が許可されたものでとても異例でした。

タイの私鉄の黎明期にはパークナム鉄道、メークロン鉄道の他にタイ資本による軽便鉄道も2つありました。その1つがプラバート軌道(軌間600mm、北線のタールアとプラバート)です。プラバート寺院への参拝客用に建設され1903年に開業。後にタールア鉄道になりましたが参拝客以外の需要がなく1942年に廃止となりました。プラバートという場所は現在のサラブリー県プラ・プッタバート(Phra Phutthabat)付近と思われます。もう1つの軽便鉄道はバーンブアトーン鉄道(軌間750mm)です。もともと個人資本で建設されチャオプラヤ川対岸のトンブリからバンコク北西部のバーンブアトーン(ノンタブリ)まで延びていたようですが詳細はわかりません。プラバート軌道同様に1942年で廃止となりました。

これらの軽便鉄道についてはまた時間があれば現地に赴いて調べたいと思っています。

パークナム鉄道の駅

話しをパークナム鉄道に戻します。まず駅などの場所を地図上に示します。運河の位置から駅の場所を判別しているので正確ではないかもしれません。

開業当時は12駅。この他にも簡易停留所があったようです。上の図からもわかるようにBTSスクンヴィット線と並行する部分とMRT上を走っていました。次に開業当時の駅と距離を示します。現在のラマ4世通りの南側道路上を走っていた区間には『ラマ4世通り』と表示しました。

駅名Station Name駅名距離(km)備考
หัวลำโพงHua Lamphongフアランポーン0.0ラマ4世通り
ศาลาแดงSala Dengサラデーン2.3ラマ4世通り
คลองเตยKlong Toiクロントゥーイ5.2ラマ4世通り
บ้านกล้วยBan Klueiバン・クルアイ7.1 
พระโขนงPrakonongプラコノン8.9 
บางจากBangdjakバーンジャーク10.5 
บางนาBang Naバーンナー12.0 
สำโรงSamrongサムロン14.8 
จอรเข้(จระเข้)Chorakheジョラケー17.3 
บางนางเกรง(บางนางเกร็ง)Bang Nang Grengバーンナーンクレン18.8 
มหาวง(มหาวงศ์)Mahawongマハーウォン20.0 
ปากน้ำPaknamパークナム21.3 

カタカナ表示は管理人によるものです。駅名にある『ジョラケー(จระเข้)』は『ワニ』という意味です。

パークナム鉄道の車両

蒸気機関車

パークナム鉄道開業当時は蒸気機関車が4つの客車を牽引して運行していました。客車には2等座席と3等座席がありました。貨物列車も運行されていました。フアランポーンとパークナムを約1時間で走っていたそうです。※参考文献3

当時の機関車が以前はエカマイの科学博物館内やその近くに展示してありましたが現在移動したようでどこにあるか不明です。

内燃動車(ガソリンカー)

1908年半ばから運行を開始したのが内燃動車です。40人乗りの2軸車でフアランポーンとクロントゥーイの間を約20分で走行していました。最短40分間隔での運行ができ市内の旅客輸送に使われていました。ところが1901年1月に脱線事故を起こし鉄道省の技師が調査した結果、運行を継続するには危険があるということで使われなくなったようです。※参考文献2. p7

トラム(電車)

ラマ4世通りの並走区間(フアランポーンとクロントゥーイ間)が電化され1912年5月1日から2両編成の電車が運行を開始します。普通の電車というよりは路面電車(トラム)に近いものでした。サラデーン付近に行き違い施設を設けたことで15~20分間隔での運行も可能になりました。車両は日本製(日立製作所)のものが使われていたようです。またバンコク電気(路面電車)と同じトラムも使用されていました。1999年に登場するBTSのなんと80年前からバンコクには電車が走っていたのは驚きです。

参考文献のまとめ

  1. 柿崎一郎「バンコクの民営鉄道」pdfファイル
  2. ทางรถไฟสายปากน้ำ-wikipedia
  3. Thai Blogs『Quest for the Paknam Steam Train』
  4. http://www.tramz.com/tva/th.html